30代直前男性のゆるみきった日々の記録

私が読んだ本の感想、大好きなヤクルトスワローズ、食べたもの、日々起こったことについて、つらつら書いていきたいと思います。

シン・エヴァンゲリオンを落語的に考える。【ネタバレあり】

エヴァンゲリオン
私はこの作品に人生を狂わされたと勝手に思っています。
勝手にですのでご容赦ください…笑
ちなみにこの記事はネタバレありとなっております。

初めてこの作品に出会ったのは、大学の受験勉強が始まっていた頃で、それまでこの作品を全く見たことがなかったのですが、新劇場版の破が公開されるということを知り、興味を持ちました。
確かサマーウォーズと同じ頃に公開され、家族ものとロボットものという全く別ジャンルの作品ながら、どちらの作品もアニメ史上最高峰の映像が観れるという噂を聞きつけ、時をかける少女が好きだった僕は、細田さんの新作はもちろんだけど、それなら両方見てみるかということで、友達と二人で観に行くことを決めました。
予習として序をDVDで見て、ヤシマ作戦は熱い展開だったなぁなんてことを思いながら、劇場で初めて破を観たときは、衝撃を受けました。
あんまり興味のない友人と二人で行ったのですが、そいつも開始10分で、「これは凄いわ…」と呟くほどに、とにかく映像も音楽もストーリーも役者さんの演技も最高で、とんでもないものを観てしまったと興奮したことを、今でも鮮明に覚えています。
そっからはもう受験勉強そっちのけで、過去のテレビシリーズも旧劇場版も観ましたし、アスカが好きだったので旧劇場版であんな結末になってしまったアスカを何とか幸せにしたい思いからか、二次創作を読みまくり、2chのLAS板に入り浸り、破も劇場で10回くらい観た記憶があります。
何なら次回の上映時間を埋めるためだけに、サマーウォーズを観たりもしてたので、ホントに痛々しいオタオタしい最後の高校生活となってしまいました。
もうこの時点で受験勉強を投げ出して虚構の世界にどっぷりはまってしまっているので、浪人確定していた訳ですが、そういう意味で私はこの作品に狂わされたという訳ではなく、その時点で自分が、虚構媒体、アニメや映画やドラマや演劇や小説と様々ある媒体の中で、自分は何らかの形で一生の仕事にしたいと思っていた小説媒体というものが、破のような圧倒的に、もはや否応なしに人間をアドレナリンのるつぼへと誘ってしまうような媒体に勝てる要素があるのかと考えだしてしまい、将来の指針を失ってしまったのです。

小説によくある地の分や文体の面白さすらも、映像ならモノローグでいくらでも心の声を役者さんが感情を乗せて入れたりできるし、なにより音楽もロケハンもCGもVFXも、なんでも使い放題じゃないかと、予算や製作期間という制約はあるにせよ、例えばそれが無尽蔵にできるようになれば、小説なんていらないじゃんと真剣に考えていました。
今でこそ、小説を読みながら登場人物表を自分で作り上げる面白さや、自らがその作品世界に同化してどんな場面なんだろうと想像する楽しさはよく理解できますが、当時の私は全く理解できず、そんなのめんどくさいだけじゃないかと思っていました。(じゃあなんで小説を仕事にしたいなんて思ったんだと言われたら、人生で自分を一番助けてくれたのは、まぎれもなく小説だったからだと思います。)
よく小説は、自分の想像で人物も舞台も想像して、自分の中で世界を構築することができるからこそ面白いのよという人がいますが、じゃあエヴァンゲリオンの脚本読んで、映像で表現された世界よりも面白く表現できるやつがいたら連れて来いよと思っていたし、そんな自分が想像した映像なんかより、プロが作り上げるものの方が100倍良いに決まっていると思っていました。
もしそれができる人がいるとすれば、その人はクリエイターの才能があるからそういった方面で能力を発揮した方がいいし、何よりそれは大部分の人に当てはまるものではないじゃないかと。

当時の私はそれについて真剣に悩み続け、何とか命からがら大学の日本文学科に入った後ですら、ときどき思い出してはくよくよ悩み、なんとなく編集者になりたいなあなんて思いつつも、小説という表現ジャンルに対しての優位性が見いだせないのに目指すなんて言うのはうんぬんという、いわば都合のいい言い訳のようになりながら、何の努力もせずだらっと就職し、現在に至るわけです。
その時の自分が今、目の前にいたら、人間は、物体や生き物、映像を見ている時ですら、その対象について、言葉によって捉え、考えることができない生き物なのだから、そこに直接働きかけることができる言葉、というものだけを駆使して物語を作り上げる小説という媒体は、言葉で書かれているというその一点のみで、ほかの表現媒体と比べても優位性があるんだと僕は思うよと、言ってあげたいですね。
もちろん映画における風景描写や役者さんの名演による、言葉にならない感動というものだって溢れるほどたくさんあります。
なのでどのメディアが優れているなんてことはなく、その媒体の特性がただあるだけだということに気づいたのは、もう少し後になってからでした。

話がかなり脱線しましたが、とにかくそんなエヴァンゲリオンのせいで(実際はただ自らの怠惰のせいで…笑)、人生がを変えさせられた私が、今回のシン・エヴァンゲリオンを観て思ったことは、今回の作品は案外、落語の抜け雀がモチーフになっているのではないかということです。
冒頭の旧ユーロネルフでのシーンで、マリが「べらぼうめ!一昨日きやがれ!」と叫び、「あたぼう」「細工は流流」等の言葉が出てくることから、これは落語の演目である「大工調べ」を意識した台詞回しであると考えられます。
落語には、よく出てくる登場人物というのが複数いまして、その中でもよく出てくる登場人物に、与太郎というのがいます。
この与太郎という人物は、一見すると頭が悪く、言ってはいけないことを平気で言って人を怒らせ、本人は我関せずで気にしないという、むしろ頭が悪いのではなく、すべて見抜いたうえで発言しているのではないかとこちらに思わせるような、独特の底が知れない魅力がある、落語には欠かせない登場人物です。
「細工は流々、仕上げを御覧じろ(私なりに、工夫は十分凝らしてあるので、出来上がりを見て、ものを言ってください)」という昔の大工さんがよく使っていた言葉の意味を枕(ネタに入る前の雑談)で振られ本編に入っていく「大工調べ」にもその与太郎は登場し、大工をしている与太郎の道具箱(工具箱のようなもの)を、家賃滞納のために大家さんに取り上げられ、お金を返そうにも仕事ができなくて困っていると棟梁に相談したところ、こんな感じで話せば向こうも分かってくれるというアドバイスを、そっくりそのまま、「道具箱とる方が悪いんだから返してくれるに決まってる。あたぼうだよ。あたぼうも知らねえのか。当たり前だべらぼうめを略してあたぼうだ」とかすべてを話し、大家を怒らせ、仲介に入った棟梁も大家にお前も偉そうにするなと馬鹿にされて啖呵を切り、裁判に持ち込み、名奉行大岡越前様がそれを取り上げ、未払いの家賃はすべて払うように与太郎に命じ、道具箱を止め置いて仕事ができなかった分の金を、大家に負担させる形で未払い家賃以上の大金を取り返す話なのですが、最後に大岡越前が、この調べ(裁判)の勝利を称え、「さすがは大工は棟梁」と言ったのに対し、「へえ、調べを御覧じろ」と棟梁が言い、追い出し太鼓がかかるという、だいたい落語会や寄席の最後に行われる、いわゆる大ネタなのです。(ちなみに古今亭志ん朝さんの大工調べがおすすめです。)
それを踏まえて冒頭のシーンを考えていくと、このシーンは劇場公開に先駆け、冒頭部分をイベントで初お披露目したものなので、色々趣向を凝らして作っているから、完成して最後まで観てからなんかものを言ってくれよなという庵野さんのメッセージにも感じられますし、いわば自らの大ネタに取り掛かっている意思表明ではなかったのでしょうか。

そんな風に考えていくと、ラストシーンは私にはどうしても、これまた落語の大ネタである「抜け雀」から着想したのではないかと思えてくるのです。
抜け雀のあらすじは、貧乏な宿屋に来た小汚い客が、大酒を飲み何日も滞在するが、結局お金を払ってくれずに、その代わりにと言って雀の絵を描いて立ち去る。
宿屋の夫婦はこんな金にならない絵なんて置いておかれても困ると話すが、次の日の朝、陽が差し込み、絵に描かれた雀にそれが当たると、絵から雀が抜け出てきて、動き出す。
そんなもの見たことがないと客が殺到して物凄い繁盛宿になり、いまお泊りはトイレしか空きがございませんし相部屋になりますみたいな状況になってくる。
そんな中一人の年配男性が宿にやってきて、「この絵は失敗作である。このままでは雀は死ぬぞ。」と話し、慌てる夫婦をよそにその絵を貸せと言い何やら描き加える。
夫婦は大事な絵に描き加えをするなんてと怒るが、次の日の朝、光を浴びた雀たちは今まで同様に抜け出し、絵の中に戻っていく。
その絵をもう一度見てみると、止まり木とカゴが書かれていることに気づき、それが絵の中になかったから、雀はこのままだと休むことができずに、死んでしまうと言ったのかと理解するという話なのですが、落ちは、絵を置いていった絵描きが綺麗な身なりになって宿に戻ってきて、止まり木と籠が書かれている絵を見て、それは自分の親が書き加えたものだと知る。
そこでその絵描きは、「自分は本当に親不孝だ」と宿の亭主に話し、亭主は「こんな雀が現実に抜け出るような絵を描く名人になったのに、どうして親不孝なところがありますか」と言うと、「親を駕籠かきにした」と答えるという落ちです。駕籠かきとは、江戸時代に人力で客を乗せた籠を運んでいた人で、荒くれ物が多く客の金品を盗んだりするものが多かったそうで、悪い職業のイメージがあったことから、カゴ描きと駕籠かきをかけた落ちになっています。(春風亭一朝さんの抜け雀も良いですし、立川志らくさんのこのネタをモチーフにしたシネマ落語「タイタニック」も面白いです。)
さて、それを念頭にこの作品を考えると、まさにこの抜け雀で行われた止まり木を描く作業というのが、シン・エヴァで行われたことなんじゃないかと私は思うのです。
前回の旧劇場版である「Air/まごころを、君に」において、庵野さんは虚構に浸る人々に対し、現実に帰れ、という強いメッセージを打ち出すため、なかなか破滅的なストーリーと映像表現を駆使しましたが、当時を知らない私が言うのも的外れかもしれませんが、それゆえに、その破滅的なストーリーに自分を重ね共振した人、二次創作や同人誌などでそれらを否定しようとした人、強いトラウマを植え付けられ何もできなくなってしまった人が大勢いたからこそ、この作品は人々の心に残り続けた面もあるのではないかと私は考えます。
僕はこの映画も大好きですし、文化には、人を否応なく変えてしまう側面もあるので、それについては全く悪いとかそういう話では一切ありません。
しかし、現実に帰れって言われたって、現実が辛いから虚構に浸ってるのに、なんでそんなこと言われなきゃいけないんだよって人もいたでしょう。
そして庵野さん自身がめちゃめちゃオタクで虚構どっぷりな人なのに、自己矛盾じゃねえかと思った人もいたのではないでしょうか。
それから時間が経ち、結婚もして、人生観も変わった庵野さんが、そういった声に応え、そして自らも答えを出すために作ったのがこのシンエヴァなのではないでしょうか。
今回もラストシーンや、エヴァの戦闘シーンでスタジオ見切れちゃうとか、登場人物がスタジオから出ていきシャッター降りるとか、手描きに戻るといったメタフィクションのような表現を使って言いたかったことは、旧劇場版と同じでこれは虚構に過ぎないのだから、現実に帰れというメッセージなのだと初めは思いましたが、しかし現実に帰れという人が、来場者特典で作品のキーワードを集めた小冊子配ったりしないでしょうし、あんなに楽しそうにマリとシンジくんが、ラストシーンで庵野さんの故郷の宇部新川駅から出ていかないと思うのです。
旧劇場版と印象が全く違うのは、今回は現実に帰れというメッセージではなく、現実を少しでも楽しく、大切に生きようねといったテーマになっているのだと私は考えます。
抜け雀の絵の中にいる雀たちにとって、抜け出てくる今我々がいる世界こそが虚構であり、絵の中の世界が現実です。朝日を浴びてこちらの世界に抜け出てくることは、まさに虚構を楽しみ現実を忘れる我々そのものといえるかもしれません。
そんな我々に対し、庵野さんは、虚構にどっぷり浸かっていたら、止まり木がなく、現実世界で地に足つけて休むことができない雀のように、いつか弱って死んでしまうから、現実世界の中でも、自分が休むことのできる止まり木をしっかりと作り、その上で虚構を楽しみなさいよということが言いたかったのではないでしょうか。
それは共同生活をしながら、日々の暮らしを大切にしている第3村でのシーンからもそれがうかがえます。
農作業、医療活動、物流といった人々の生活を支える労働、人との触れ合い、助け合い、家族や恋人、友人などの共同体の大切さを、あんなにも丁寧に描かれるとは、全く予想していませんでした。
また、庵野さんは昔、自分の代表作がエヴァンゲリオンのまま終わるのは嫌だという話をしていましたが、新劇場版という過去作をリビルド(再構築)していく作業の中で、スタジオも新しく作り、新しいスタッフさんが入り、今まで同様、いやそれ以上にクオリティの上がっていくこの作品群を、自分の代表作だと、感じざるをえなくなっていったのではないかと思うのです。
パンフレットで、多くの声優さんが話していましたが、アフレコ時に庵野さんから「このキャラを演じるのがあなたで良かったです」と言われたそうです。そういったスタッフさんや声優さん、映画関係者、そして妻である安野モヨコさんがいてくれたからこそ、この作品が素晴らしいものになったんだという感謝から、宇部新川駅の実写映像の中を、あくまでアニメとして書かれたシンジとマリが、駆け出していくラストになったのではないかと、名画がゆえに、現実に抜け出てくるようになった抜け雀のように、様々な人の力で織られた素晴らしいアニメーション作品になったがゆえに、登場人物が抜け出てきたという表現なのではないかと、思ってしまうのです。
TVシリーズから旧劇場版、新劇場版へと続く円環の物語からシンジたちは抜け出し、庵野さんが過去に感じていたこの作品を超えられずに死んでいくのではないかという不安、そして観客が感じていた物語の魅力がゆえに抜け出すことができないエヴァの呪縛から、ストーリー上も現実の上でも、解放させることに成功したからこそ、今回のシン・エヴァンゲリオンは大傑作であり、シリーズすべてをまたさらに名作の高みへと押し上げた、そんな作品になったのではないかと思います。
鑑賞後にエヴァが思い出になったとファンが口々に言うのは、作品との折り合いがついたというその証拠かもしれません。
私もこの作品から受け取ったメッセージを大切に、現実世界での止まり木をきちんと整え、楽しみ、虚構も楽しんで生きたいと思います。
本当にありがとう。そしてさようなら、また逢う日まで。すべてのエヴァンゲリオン
これまでもこれからも、この作品が大好きであったと、生涯忘れずにいたいです。

最後になりますが、シンジくんは本当に親不孝ですね。親を串刺しにした。

名刺代わりの小説10選【後半】

だいぶ遅くなってしまいましたが、前半に引き続き、今回は名刺代わりの小説10選【後半】を書いていきます!
後半5選は以下のとおりです!

6.梶井基次郎 檸檬

檸檬 (新潮文庫)

檸檬 (新潮文庫)

まずは教科書に載っててこいつやべえとしか思われないで有名な、梶井基次郎檸檬です。
ただこの作品を含めて、とにかく文章表現が素晴らしいです!
僕が初めて日本語の美しさ、妖艶さみたいなものを教えてもらった作品です。
言葉が美しく、みずみずしく、生き生きとしていて、大好きな作家さんです。
残念ながら若くして亡くなったので、この作品集1冊でほぼ全作品楽しめることになります。

7.村田沙耶香 コンビニ人間

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

次は村田沙耶香さんの「コンビニ人間」です。
この作品は、こんなに狂った主人公もいないというくらいのやばさがあります。
けんかを始めた小学生男子たちに、同級生女子がだれか止めて!と叫ぶのを聞き、仲裁するためにけんか中の男子同級生をスコップで殴る。
公園にいた死んだ小鳥を、焼いてお父さんに食べさせようと母親に提案して怒られ、その小鳥を埋めて、摘んだお花で周りを飾ろうとする母親に対して、お母さんもお花をたくさん殺してるのに、なんで死んだ小鳥を見て泣いてるんだと思う。
など、やばい行動連発の主人公ですが、生き方が自由になってしまった現代において、コンビニバイトをマニュアルに従って整然と的確に処理していく行為に、落ち着きとこの上ない喜びを感じるというのは、ある種分かるなというか、自由になりすぎて、何をしたらいいかわからなくて、暇と退屈を持て余して苦しんでいる我々が共感してしまうような、いびつで面白い作品だと思います。

8.谷川流 涼宮ハルヒの憂鬱

私自身、大衆小説の面白さは、まず大前提として話の筋、そして語られる文体にあると思うのですが、僕はこの2つを100%満たしている作品が、谷川流さんの涼宮ハルヒシリーズだと思います!
とにかく主人公であるキョンの語り口のユーモア性がたまらないのです!
1作目の「涼宮ハルヒの憂鬱」の書き出しは
「サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うとこれは確信をもって言えるが最初から信じてなどいなかった。」
となっており、流れるようなリズム感とユーモア性が感じられます。
4作目の「涼宮ハルヒの消失」の冒頭、冬の寒さを例えるモノローグで、
「地球をアイスピックでつついたとしたら、ちょうどいい感じにカチ割れるんじゃないかと言うくらいに冷え切った朝だった。いっそのこと、むしろ率先してカチ割りたいほどだ。」
とするなど、表現が非常に面白く、内容もSF的設定を使った学園物としてよくできていますし、大変おすすめです。
一時期ライトノベルも読もうとした時期はあったのですが、どれも文体が合わず、結局ハルヒシリーズが一番面白かったです!

9.綿矢りさ 蹴りたい背中

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

  • 作者:綿矢 りさ
  • 発売日: 2007/04/05
  • メディア: ペーパーバック

お次は綿矢りささんの、「蹴りたい背中」です。
綿矢りささんは、芥川賞を当時19歳という若さで受賞した作家さんで、未だにその最年少記録は破られていません。
当時デビュー作の「インストール」とこの作品は売れに売れ、100万部を超えるベストセラーとなり、父親か母親かだれが買ってきたのか分からないけれど、うちにも置いてありました。
中学生くらいのときに、それに気付いた私は、そんな流行りものなんかに手を出すか!へっ!みたいな感じで、よくある中二病的価値観によって、それを遠ざけていたのですが、高校に入ったくらいのとき、それを読むと、まさに衝撃を受けました。
高校生のちょっと浮いてる痛い女の子を、こんなにも的確に描写できる人がいるのかと。
そして何だこの流れるようなリズム感と面白い表現の数々は!と思い、完全に魅了されてしまいました。
綿矢さんの作品は、文章の共感度が高いところがとても好きで、文章中に出てくる心情描写も、例えも、なんかそれわかるなぁと思ったり、少し笑えたり、この表現にはこれしかないとぴったりはまっていく言葉を、紡いでいくところがとても好きです。
思わずはっとさせられる警句も、登場人物の会話中にたくさん出てくるので、面白いです。
とにかく痛い系の女性を書かせたら右に出る者はいないという感じがします。
「インストール」「私をくいとめて」もおすすめです!

10.星新一 ボッコちゃん

ボッコちゃん(新潮文庫)

ボッコちゃん(新潮文庫)

最後は星新一さんの「ボッコちゃん」です。
この作品は、言わずと知れたというか有名すぎるくらい有名な作品ですが、とても面白い作品です。
星新一さんはショート・ショートの神様と言われた方で、短編よりも短い分量で、必ずあっと驚くオチがあるお話を、1001篇創り上げたという凄まじい作家さんです。
SF作品なのですが、とても読みやすいというのが特徴です。
SF御三家というので名前を挙げられるのが、前回の筒井康隆さん、そして星新一さん、もう一人は日本における本格SFのパイオニアにして完成者として名高い、小松左京さんが挙げられるのですが、そのお三方を石川喬司さんというSF評論家で作家の方が、評している文章が面白いので引用します。
この文章は日本における初期のSF界を、一つの星に見立てて、その惑星がどのように開拓されたかということを例えた文章なのですが、3人が登場する部分だけ抜粋すると、
星新一がこの惑星へのルートを開拓し、小松左京が万能ブルドーザーで地ならしし、筒井康隆が口笛を吹きながらスポーツカーで乗りこんだ。」
となり、3人の作家さんの特徴をよく捉えています。
まず星新一さんは、ショート・ショートという誰にでもわかりやすく、かつ面白く読める作品で、日本にSFというジャンルの輸入に成功した凄い方なのです!
その後自身の博学かつ深い洞察とユーモアセンスを兼ね備えた、「日本沈没」や「復活の日」「果しなき流れの果に」などで有名な小松左京さんが本格SF小説のジャンルを作り上げ、その世界を確固の物とし、最後に筒井さんが独自のスラップスティックコメディの発想やSF的設定、
そして純文学の知見を応用した自由で面白くて毒のあるSF作品を発表し始めたために、「スポーツカーで乗りこんだ」と書かれているわけですね…笑
さて、そんな星新一さんの作品は、まず文章が特徴的で、文体は乾きに乾き、人物描写もできるだけ簡素に、人物の名前はアルファベットすら削ぎ落した文章になっており、それ故に古びることのないものになっているんだと思います。
1001篇を完成させたあとは、ひたすら過去の作品に出てくる最近は使われなくなった単語を、現在の言葉に手直しする作業をされていたそうです。
必ずあっと驚くオチがついており、敷居が低く、だれが読んでも面白い作家さんは、唯一無二だと思います。
創作するときは何枚も書き溜めた設定メモを広げ、それを混ぜ合わせたあと3枚引き、その組み合わせで話を考えるというような、落語の三題噺的発想で作られることもあったそうです。
星さん自身も落語好きで、そして喋ると爆弾発言連発で爆笑に次ぐ爆笑を呼ぶと、SF作家の皆さんから評判だったらしく、筒井さんもよくそのことに触れ、星語録を作りたいと話していましたが、未だ実現に至っていないそうです。
筒井さんとは、昔は本当に仲が良かったのにも関わらず、筒井さんは文学賞を次々と受賞していき、一方の星さんは子ども向け作家として扱われ、直木賞も受賞できず、それに嫉妬し、晩年は、文学賞のパーティーで、普段温厚な星さんが、筒井さんに、「俺の話をパクりやがって」っと凄み、周りが凍り付く、ということもあったそうです。
最相葉月さんの「星新一 一〇〇一話をつくった人」という伝記に、穏やかで面白い人柄だったとされる星さんの、実際に迫るエピソードが数々書かれており、とても面白かったです。
あんなにも膨大な発想力と、圧倒的なストーリーテラーとしての力によって書かれた、1001篇もの作品を、評価することができる文学賞が、この日本になかったということかもしれませんね。
「ボッコちゃん」は、小学生の頃に、野口英世とか福沢諭吉とかの伝記を、親から無理やり読まされ、飛ばし読みすると内容確認されて怒鳴られて泣きながら本を読んでいた私が、唯一面白くて夢中で読んだ作品です!
この本との出会いがなかったら、自分は絶対に読書嫌いになっていたと思うので、読書の面白さを教えてくれたこの本にとても感謝しています。

以上が、私の名刺代わりの小説10選のすべてです。
こうして好きな作品のことを思い起こすと、ほとんど思春期に読んで親しんだ作品で、とても懐かしい気持ちになりました。
小説を読むことで出会う様々な人生は、自分の世界を大きくしてくれるし、本当に豊かにしてくれるものだと、私は思います。
今後もたくさんの素晴らしい小説に出会うことを楽しみに、生きていきたいと思います!
ありがとうございました。

廣岡大志

3月1日に、ヤクルトスワローズの廣岡大志と、読売ジャイアンツの田口麗斗とのトレードが発表されましたが、廣岡は思い入れのある選手だったので、ショックでしたね…
ヤクルトといえばつば九郎ですが、ヤクルトスワローズのロゴにもつば九郎が使われていて、なんとなくそのロゴのつば九郎とバッターボックスに入った廣岡が似ている気がして、よくわかんないけどそれが愛嬌あって面白くて好きでした。
バッターボックスに入る姿も、一見うわついてとぼけた顔をしているのに、真剣で少し緊張してる感じも、三振してもファール打っても夢しか感じないところも、ホームラン打つとこっちも嬉しくなってしまうくらい恥ずかしそうにニヤつくところも、結構好きでした。
だからこそ複雑で、寂しくて、今日の巨人とのオープン戦で、初回ヤクルトの攻撃の時、全部打球が廣岡に飛び、実況が「全部廣岡!」と叫んだときは笑ったし、守護神の石山からホームラン打ったときは、寂しいやら嬉しいやら辛いやら複雑過ぎて、結構泣いてしまいました。
その後に、ショートのポジション争いをしていた西浦が、同じような飛距離で同じような場所に、ホームランを叩き込んで、ショートを守る廣岡に笑顔を見せながらダイヤモンドを一周するときも、感慨深くて、オープン戦でこんなに心をざわつかせないでくれと思ったけれども、そうか、ヤクルトスワローズのファンなのだから、西浦を応援することができるんだから、元山も夢があるんだから、それを全力でしていくことしかないんだと、思い返しました。
まぁしかし、そんなに簡単に割り切ることはできないし、巨人戦を観る時は、これまでより複雑な心境で見ちゃうかもしれないけど、とにかく、廣岡頑張れ!!という気持ちは、一生持ち続けていきたいと思います!
廣岡選手、頑張ってください!
そして田口選手を全力で応援します!

名刺代わりの小説10選【前半】

ツイッターを見ていたら、名刺代わりの小説10選というハッシュタグを今さら見つけたので、ブログ上ではありますが、自分もやってみたいと思います!

とりあえず半分ということで、
僕の好きな小説10選【前半】は以下の通りです。

一つずつご紹介していきたいと思います!
興味がある方は読んでほしいので、ネタバレは基本的に最小限で行きたいと思います。

1.ヘブン 川上未映子

ヘヴン (講談社文庫)

ヘヴン (講談社文庫)

まず1つ目は川上未映子さんのヘヴンです。
この小説に出会ったのは高校生の時で、その時から今までも重松清さんや星新一さんが大好きで、読みふけっていた時ではあったのですが、いわゆるエンタメ小説ばかり読んでいた私が初めて、衝撃を受けた文学作品だったと思います。
たまたま入った本屋に単行本が置いてあり、白い曇り空のような装丁がとても綺麗で、帯に~~賞受賞!とか各界から絶賛の嵐!!とか書いてあると、各界って都合よすぎるだろ、ていうかどこだよその界隈とか思いながら買ってしまうミーハーの私ですので、たぶん芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞と帯にあったのにも惹かれて購入しました。
帰って読み始めると、いわゆるいじめられっ子の小説だったわけですが、そういう題材は重松さんでもたくさんあったし、自分だっていじめられた経験もあるので、またこういう話かよくらいにしか思っていませんでした。
ただいじめられている主人公と同じ学校でいじめられている女の子が文通を始めるというストーリーに、男子校で彼女もおらず、いじめられないために、必死でいじられキャラに徹していた自分は、何かロマンティックなものを感じて、どんどん読み進めていきました。
今から考えると二人は結ばれて幸せになりましたみたいな展開になるわけないと思うわけですが、当時純情だった私はドキドキしながら読みすすめ、あれなんだこれ?今まで読んできた小説と全然違うぞとじわじわ思い始めたその時、主人公といじめっ子の会話部分で、自分が、心の内面からこの本によって変えられてしまう恐怖を覚えたのです。
その会話シーンでは、自分が主人公をいじめる理由を滔々と話し、読者である自分も圧倒され、あれだけ悪としかとらえていなかったいじめという行為が、「あれ?確かにこのいじめっ子が言うことも一理あるかも…」と思わされてしまったのです。
自分もいじめられたことはあるけど、でもこいつの言うことも筋が通っているのではないか、ていうかもはや正論じゃないかと思ったとき、恐怖しました。
まさに自分の人間としての根幹をぐらつかされていると思ったからです。
その時までは、あくまで自分のコントロールの元に、自分の生き方をよりいい方向に導くため、または純粋に虚構を楽しむためのツールだった小説が、自分を意図せず、しかも当たり前にしか思っていなかったことを、突然棍棒で後頭部叩き割られるみたいな衝撃で、変えてしまうものなんだと、文学ってそういう、善の方向だけじゃなく、やばい方向にも導かれるメディアなんだと知って、本当に文学って面白いんだなと思ったんですね。
人の思考は基本的に言葉のみで行われますが、その言葉のみを使って、脳に直接影響を与えてくる媒体なわけなので、当然なのですが今でも忘れられない体験です。
当時、小説は好きだけど、映像メディアや演劇やアニメとかに絶対に勝てない媒体だよなと思っていた自分の悩みも、
言語でしか表現できない媒体だからこそ凄いのかと、気づかされました。
そこから川上未映子さんが好きになり、今でも著者の作品で一番好きな小説です。
『夏物語』という新刊も評判がいいので、今読み進めています。

2.トワイライト 重松清

トワイライト (文春文庫)

トワイライト (文春文庫)

  • 作者:重松 清
  • 発売日: 2005/12/06
  • メディア: 文庫

2冊目は僕が大好きな作家さん、重松清さんの作品で一番好きな本、トワイライトです。
僕はドラえもんが大好きですが、重松さんはエッセイで語っていましたが、ドラえもんが嫌いなようです。
のび太が秘密道具をいつも間違えて使ってしまう、その子どもゆえの無邪気な悪意に、恐ろしさを感じてしまうとのこと。
この作品は、登場人物たちがドラえもんのキャラクターに重ねて描かれており、主人公は勉強ができるのび太として登場します。
ドラえもん嫌いが出ているのか、登場人物たちはこれでもかと夢と現実にギャップに苦しめられます。
勉強ができていたのび太は、今ではリストラ候補に挙げられ、初恋で片思いのしずかちゃんとは結婚できず、普通に家庭を持っている。
そして久々に開かれた同窓会でみんなと再会するという話なのですが、好きだったしずかちゃんはジャイアンと結婚しているうえに、家庭内暴力にさらされていて、こんなドラえもんは嫌だの縮図のような作品です。
大人になるということは、

あんなこといいな、できたらいいな、あんな夢こんな夢いっぱいあるけど、

という主題歌の言葉が、すべて反転して過去形になって襲い掛かってくるってことなのかなと思います。

あんなことよかったな、できてたらよかったな、
あんな夢こんな夢いっぱいあったけど

ただそれを受け入れて、何とか、少しずつでもやっていこうよという、人生の黄昏(トワイライト)を迎えてしまったのかもしれないけどね、
それでもさ、と励まされるのがいいのかなと思います。
嘘やごまかしがなく、これでもかと現実を突き付けてくるのに、なんとか生きていこうと思えるのは、この作品の大好きなところですし、重松さんの作家として、本当に素晴らしいところだと思います。
きよしこ』や『その日の前に』『日曜日の夕刊』『小さき者へ』も大好きです。

3.人間失格 太宰治

人間失格 (新潮文庫)

人間失格 (新潮文庫)

3冊目は言わずと知れた太宰治の『人間失格』です。
重松清さんの『桜桃忌の恋人』という短編で、気まぐれで全く興味のない日本文学科に入った主人公が、自己紹介で好きな作家を書く際に、太宰の「宰」の字のウ冠の下の部分、「辛い」と書くべきところを、「幸せ」と誤って書いてしまい、太宰大好き病んでる系女子に、どういうことかと詰め寄られ、太宰は辛い人生を送ってきたから、俺は少しでも幸せになってほしくてあえて書いたのだと、とっさの言い訳をしたら何だか気に入られて仲良くなって…という好きな作品があり、走れメロスくらいしか知らなかったけど、そしたら太宰治読んでみようかなと手に取った作品です。
中学生の時、寝る前に読み始め、ここまでとやめることができず、結局一晩で読んでしまった、思い出深い作品です。
古典文学に入るはずなのに読みやすく、夢中で読みました。
この主人公は自分であるとしか思えなかったのです。
印象的だったのは、はしがきの部分で、主人公の年代別の3枚の写真について、1枚目の幼少期の写真は、一見するとかわいい笑顔だけど、こんなにいやな写真はないねと、筆者?に言われる部分で、それまで写真を撮られる際、満面の作り笑顔しかしたことのなかった自分は、見抜かれているような衝撃を受け、有名な「恥の多い生涯を送って来ました。」という書き出しから、僕も人生で恥しか書いてきてないなと感じ、一気に引き込まれました。
3度の食事は、時間が来るから食べているだけで、本当の空腹を感じたことがないのだといった部分や、そこまで自分を嫌な人間だと追い詰めなくていいのに、おそらく著者的な人物として描かれる主人公の内面を、これでもかと描出していきます。
この作品を多感な時期に読めたことで、僕は自分が思い上がりそうになる時、少しは踏みとどまれているのかなと思います。
余談ですが、新潮文庫の背表紙の色は、重松清さんなら緑、筒井康隆さんなら赤というように、作者のイメージカラーになっていますが、太宰治はというと、背表紙の色が黒だったので、当時の僕にとって死に近づいてしまうのかと思わせる禁断の書のようでした。

4.エディプスの恋人 筒井康隆

エディプスの恋人

エディプスの恋人

こんな壮大で頭おかしくなりそうな話書けるのかと、心からこの作者は天才だと思いました。
この作品は七瀬という心の声を聴くことができる能力を持った主人公の三部作、七瀬シリーズの完結編となっていて、1作目の家族八景はもはや古典的SFの域で、後続の様々な作品によって新鮮味はありませんが、2作目の七瀬ふたたびは超能力バトルSFとしてとても面白い作品になっており、それももちろんおすすめです。
ただこのエディプスの恋人は、話が前作との連続性を感じないほどに壮大な作品となっており、神とは、人間とはを問う内容となっています。
哲学性とエンタメ性が両立した稀有な作品であり、神の視点による描写は圧巻で、小説って何でもできるんだと思わせてくれます。
この作品は極力ネタバレなしで、できれば家族八景を飛ばしても七瀬ふたたびから読んでほしいと思います。
なので超おすすめなのにこれ以上書けません…。
ぜひ読んでほしいとしか言えません…。
筒井康隆さんも大好きな作家さんの一人です。
残像に口紅を』『虚人たち』『パプリカ』『旅のラゴス
その他『農協月へ行く』『欠陥バスの突撃』などの短編の数々もおすすめです。

5.無銭優雅 山田詠美

無銭優雅 (幻冬舎文庫)

無銭優雅 (幻冬舎文庫)

前半戦最後は、山田詠美さんの『無銭優雅』です。
山田詠美さんも大好きな作家さんで、人が大人として、楽しく生きるっていうのはこういうことよみたいな感じを公開してくれるところが好きで、
その中でも『無銭優雅』は何度も読み返している作品です。
短編集の『風味絶佳』とどちらをあげるか迷いましたが、文章としての完成度はおそらく『風味絶佳』だと思うのですが、内容としてはこちらが好きかなと思い選びました。
とにかく書き出しが素晴らしいのです。
そこだけでも読む価値があると思います。
40歳のカップルの日常を描いた話なのですが、読むたびに、大人の恋愛とは、なんか東京カレンダーみたいな、高級レストラン行って、バー行って、綺麗で素敵なホテルに行って、みたいのだけじゃなくて、こういうのこそ本当の恋愛なのではないの?
と作者に言われているような気になります。
いい大人が本当の意味でバカになって、二人だけの価値観の中でいいものを共有することこそ、本当の恋愛ではないかと。
昔、文學界村上龍さんと対談していたのを読んだとき、うる覚えですが山田詠美さんのファンが、
震災で家族を失った、家は流れた、でも、山田詠美の小説を読める自分がいるから、まあ、良いかと思っている 
というファンレターをもらったと話していて、この方の悲しみや苦しみ、どうしようもないような辛さに寄り添うことはできないが、この作家の作品が、自分の人生を豊かに彩ってくれるということは、とてもよく分かるなと思った記憶があります。
人生をもっと贅沢に、自分の物差しで感じなさいよと教えてくれる詠美さんは、僕の中で本当に大切な作家さんです。
前述の『風味絶佳』『A2Z』『タイニーストーリーズ』『放課後の音符』も良いですね。


ということで以上、前半戦終了です。いろいろ昔のことも思い出して、
楽しいものですね。
名刺代わりの小説10選【後半】に続いていきたいと思います。

何かしないといけない強迫観念

内的統制と外的統制という言葉を最近知った。
自分の状況を、内的要因だと捉えるか外的要因だと捉えるかの傾向を言うらしい。
要するに物事を自分のせいにできるか他人のせいにしてしまうかの違いだ。

僕は確実に外的統制が強いほうだと思う。
昨日も友達と珍しくZOOMで会話し、リビングにパソコンを置きっぱなしにしていたらそのコードに躓いて転けかけた。
そんな完全に自分の不注意でしかない出来事も、あいつとZOOMしなければこんなことにならなかったのにと、一瞬思ってしまうほどに。

以下に続く文章は、その傾向をはっきりと表していると思う。

最近何かしなきゃという漠然とした不安、もしくは強迫観念にさらされているのは、頑張ることがないから、熱中できることがないからというのはもちろんある。

野球のシーズン中は、ずっとヤクルトの応援をしている。
それが日課だし一番したいことだしすべてを忘れられることだからとはっきりと言える。

しかしオフシーズンは野球がない。
当たり前のことだがテレビ中継で一喜一憂する日々も、
残業で疲れてプロ野球速報アプリでヤクルトは今日も負けたのかと苦笑いして明日は頑張ってくれよと思うことも、
神宮球場で夕方から生ビールを飲み、試合に負けて友人とやけ酒を飲むこともないのだ。

その大きな喪失感が原因であるとは思う。
しかしもしかしたら、自分は小学生の頃にした中学受験勉強で、やりたくはないけどやらなきゃいけないこと、
つまりずっと勉強とか意味あることをし続けなきゃいけないという強迫観念から、解放されていないのかもしれない。

中学受験中は親に怒鳴られ時には叩かれ、大変な思いをした。
その後の人生で全然自分は頑張れず、頑張れないまま今日を迎えてしまったのは、そのせいかもしれないと思っていた。

ただそのことを考えると、いつも高校教師に言われた言葉を思い出す。
「お前こんな年にもなって、自分の生き方を親のせいにするなんて、そんなの間違ってるだろ」

今でも確かにそうだよなと思う。
ただその時は、お前は僕の辛さが分かっていないじゃないかと反発してしまった。素直に受け入れて頑張れていたら、どんなに良かっただろうか。

今、頑張れないことへの言い訳を、都合よく昔の、不都合で辛い思い出に、つなげているだけなのだから。

だから本当の意味で、この強迫観念と決別するために、目標やしなければならないこととは別の、熱中できるやりたいことを見つけなければなぁと思う。

そしてもしそれが苦労を伴うことでも、自分をなだめすかして実行する自己統制力、内的統制力を持たなければいけないなとも。

まぁもしかしたら、なになにをしなければいけないと思うことそのものから、解放された方が良いのかもしれない。
もはやそれは悟りの境地だから、もっと先のことになるだろうな。

僕が好きなカレー屋さん

今日は僕が好きなカレー屋さんを紹介したいと思います。

カレーは結構好きで、よく食べに行きます!

その中で紹介したいお店が何件かあるので、少しずつ更新していきたいと思います。

今回は友達に紹介してもらって知った上石神井にある「analog.」というお店です。

ここはボリュームがたっぷりで、その割に値段が安く、そして味もめちゃくちゃ美味しいという最高のお店です!

まずどんなカレーなのか?それはこちらです!

アナログリィィィィンカレーとカレーJAPANの2種盛り、350g+50g
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チキンな彼へとカレーJAPANの2種盛り、350g+50g
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ボリューミーで凄い美味しそうですよね!

このお店は、だいたい今挙げた3種類のカレーを日替わりで基本2種類ずつ提供されています。

カレーJAPANは、日本風のカレーの食べやすさを維持しながら、スパイスや具材を煮詰めることで、濃厚な旨味を形成しているカレーです。

僕はこのカレーJAPANが一番好きです!

アナログリィィィィンカレーは、グリーンカレーを日本人向けに食べやすくなっているカレーです!

そして普通のグリーンカレーはシャバシャバしていますが、こちらはとてもドロッとした濃厚なカレーに仕上がっています!

チキンな彼へはスパイスが効いた辛口のカレーで、食べていると汗が止まらなくなるようなカレーですが、本当に食べやすく、時々辛さしかないカレーもある中、しっかりと旨味もあって、とても美味しいカレーです!

そしてなんと行ってもこのお店の特徴は、ニンニクが無料トッピングできるところです!

僕も最初は、ニンニクなんてカレーに合うのかと思っていたのですが、これが本当にカレーと合います!

濃厚なルーに少しずつにんにくを溶かしていき、ご飯と口に運ぶ瞬間はまさに至福の瞬間です!

また、グリーンカレーのときはパクチーもトッピングできるようになりますので、パクチー好きは嬉しいですね!

御飯の量も、200gから700gまで100gごとの値段設定になっていますが、50gの増減は無料なので、350g食べたい方は、300gを買えば、無料で増やすことができます!

もちろん少食の人は、200gを買って150gにすることも可能です!

この他にもその日限定のカレーなどもありますので、ぜひ足を運んでみてください!

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小葱と辣油の鶏モモカレー(限定なので50円増しです。)とカレーJAPANの合盛り、350g

不定休なので、必ずこちらをお読みの上、ご来店ください!

https://twitter.com/analog_official?s=09

コロナが早く落ち着くことを願っています…

大晦日のしゃぶしゃぶ

昨年は本当にコロナに象徴される一年で、実家にも帰れず、大晦日は妻と二人で過ごした。

 

晦日といえば、毎年、ガキ使の出演者登場シーンと、バスに乗り込み車内で有名俳優がコントを繰り広げるパートまで見る。

 

その後19時28分くらいにチャンネルを変え、19時30分から始まる紅白をオープニングから最後まで、文句言ったり笑ったり泣いたりなんだかんだしながら観るのが恒例だ。

 

一昨日のことを昨年というのは違和感がまだあるが、昨年の大晦日も同じことをした。例年と行為としては同じことを。

 

ただいつもと唯一違ったことは、毎年実家に帰って家族や親類みんなで過ごすのではなく、妻と二人きりで過ごしたことだ。

 

今までであればとにかくすき焼きやら海鮮やらなんやら美味いものを食べ、酔いに酔い、昼寝をし、少し体調の悪いまま起きてまた酒を飲んで大晦日を過ごしていた。

 

昨年、2020年に関しては、陽光がカーテンから漏れでてくるとてもとても気持ちのいい昼前の時間に起き、いつもよりしっかりとした朝ご飯を昼飯の代わりに食べ、夜ご飯の買い出しに行き、年末年始用に売られていた豚のしゃぶしゃぶ肉を買った。

 

2パック1000円で売られていたそのお肉と、楽天で買ったチリ産の冷凍うにと、会社で妻が上司にもらってきたホタテの冷凍貝柱、これらを夕食のメインに据え、夕食の準備を始めた。

 

準備が終わり、紅白を妻と二人で見て、豪華でも質素でもない豚のしゃぶしゃぶをしている時間が、今年はなぜだろう、とてもとてもゆったりとした、贅沢な時間だと思えた。それはなぜだろう。

 

紅白を見ていて、会えない家族や人との距離が開いていく寂しさ、もはやそれを通り越した息苦しさや悲しさを感じたのは紛れもない事実だ。

 

確かに家族に会えないのは寂しい。父や母や妹や祖父母、叔父伯母が一斉に集いわいわいやる年末年始というのも、毎年素晴らしいことだと思う。

 

家族で過ごす以外にも、カウントダウンイベントやライブ、友人との初詣などを恒例としている人たちもいて、きっとなんだか、物足らないくさくさした気持ちでいっぱいなはずだ。

 

ただ、やはり人間は、煌びやかなこと、享楽的なできごとにももちろん楽しさを感じるのだけれど、案外、大切な誰かと平穏な時間を過ごすこと、そんなちっぽけのようでかけがえのない時間に、よほど幸せを感じるのかもしれないと思う。

 

静謐な時間を過ごせる贅沢を感じられた大晦日は、コロナ禍で感じた、数少ない素敵な経験だったかもしれない。