蠕動で渉れ、汚泥の川を 西村賢太
貫多17歳のお仕事ものシリーズで、洋食屋でのバイト経験を語ったものだが、珍しく長編で、書き出しから文章に気合が入っていることが伺える。
主人公が港湾人足や本の梱包等の仕事をやめて、洋食屋の出前要員として働くところから物語が始まる。
今までの仕事と比べて楽なところに拍子抜けし、夜勤で早起きの必要もなく、まかないも食べられることから、このバイトを痛く気に入る。
そこからお決まりの賃貸料の踏み倒しがあり、大家との大揉め、後にアパートから追い出されて洋食屋の屋根裏部屋の倉庫で寝起きを始めるというストーリーなのだが、貫多青春物の傑作と言える。
西村賢太の食べ物の描写は、当たり前だが不味いものは本当に不味そうに、旨そうなものはちょっと唾が溜まるくらい美味しそうに描かれる。
今回もまかないがとても美味しそうに描かれ、昼食の缶ウインナーと炊きたてご飯を忙しい開店準備中故に掻き込む様子でさえ美味しそうで、私は朝から松屋でソーセージエッグ定食を食べてしまった。
そしてこの働くお店である「自芳軒」も、雀荘へのお弁当配達を盛んにしていて、とんかつやハンバーグ、ステーキなどを提供している洋食屋さんなのだが、往時の上野の雰囲気と相まって、実際に行って何か食べてみたくなるような郷愁をかきたててくれる。
しかしそんな古き良き昭和が薫ってくるような、ノスタルジックなお店での経験を、店の登場人物にこれでもかというくらいに心中描写や実際の台詞で持って、貫多が罵倒し侮蔑するからこそ、安っぽいお涙小説ではなく、素晴らしい私小説となっている。
住み込みで寝起きする貫多は、徐々に馬脚を現し、店の募金箱から金をくすね、商店街のクーポン券を勝手に拝借し、挙句の果てには店の冷蔵庫からビールや酒を出してきて、仕込まれているハンバーグやカレーを勝手に食べるという蛮行に走る。
そして大学生の女性従業員がバイト中に履いているキュロットスカートをロッカーから拝借し、自慰にしようとして匂いをかぎ、あまりの悪臭で眉をひそめ悪態をつくなど、酷い有り様ではある。
しかしそういった露悪的とも言える描写は、実際にやったこととやらなかったが本当はやりたかったことが、ないまぜに描かれている。(と信じたいところではある…笑)
そこに、私小説ならではの、物語という形を取った自由さゆえの精神的解放があり、丸裸になっている主人公と作者の間の虚実のあわいに対して、とてつもない面白さを感じるのだと私は考える。
本当につくづく、西村賢太の未読作品を、あと少ししか読めないところに、慊りなさを感じてしまう。
俺の文章修行 町田康
世の中に文章教室的な本は数あれど、こんなに笑えて、こんなにも自分の手の内を明かしている本というのはないのではないのかと私は思った。
この本はいわゆる小手先の文章テクニックについて語った本ではなく、面白い文章を書くための生き方や姿勢について語られていて、私はKindleで買ったにも関わらずサイン本を新たに注文してしまった。
まず、面白い文章を書くには、とにかく本を読み 、活きた形の語彙や文章というものを自分の中に取り入れ、内蔵された文章変換装置の精度を上げることが大切だと語られる。
これはスティーヴン・キングも「よく書き、よく読むこと」が小説を書くうえで大切だと語られているが、町田康は、同じ作品を100回、1000回と読むことが肝要と述べる。
西村賢太も、5人くらいの大好きな私小説作家の作品を、繰り返し繰り返し読むことで、文章力をつけたと話していたが、この本でも、何度も読むことで、文章内容から離れ、文章の校正や息づかいみたいなものが身につくのだと語られていて、なるほどそれは違いないと腑に落ちた。
町田康は『ちからたろう』を幼少期に1000回読んだという逸話を披露するが、そういった話がとてつもなく笑える。
文章のいけずという章ではここまで明かすのかという町田康の文体上のテクニックが様々なされている。その他にも、
自分の心の中の糸くず(善悪論とか一般論に囚われない自分が本当に感じたこと)を大切にして、心の錦を念頭に書くこと。
ノリを意識して、一行一行丁寧に、自動的な語彙に惑わされず、真剣に向き合って書くこと。推敲はしない覚悟で書く。
俺はしょうもないことに依拠してきたということを念頭に、安易に高尚にしようとしない。
などの金言至言があり、この本は何度も何度も読み返すことになるだろうと思い、これは崇拝せざるを得ないと思った。
いわゆる「サザン」について 小貫信昭
私はサザンオールスターズが中学生の頃から大好きだった。2006年に発売された「DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜」というシングルに、何故だか首ったけとなり、前から桑田佳祐の「白い恋人達」や「波乗りジョニー」は流行歌として好きではいたが、その曲を聴いたことで、突如として大好きなアーティストに躍り出た。
正直に言って音楽というのは疎く、サザンオールスターズ以外に本当にこの人のファンですと言えるアーティストはいない。
強いていえばさだまさしや中島みゆきがそれにあたるが、そちらは好きな小説家の一部にあたるような気がしている。
幼少期から首の斜頸があり、集合写真を撮るとみんな笑顔でピースして写っている中に、いつも首が曲がっている私がいたが、その斜頸手術をした際も、ずっとサザンのアルバム『キラーストリート』を聴いていた。
斜頸手術の際も、iPodの持ち込みを許可されていたので、麻酔をしたあと先生が、サザンなんて聞いてて若いねぇとか何とか言っていて、今どきサザンを聞くやつは若くねえだろという変な憤りを感じていた。
そんなサザンのファンである本書は、とても面白いノンフィクションだった。
しかし、やはりアーティスト側への配慮なのか、長渕剛との確執、小林武史との活動がなぜ物別れに終わったのか、ギタリスト大森の脱退、桑田自身の年越しライブでの紫綬褒章尻ポケットにしまう事件の顛末など、触れてほしい暗部には触れられておらず、そこが残念だった。
やはり読み応えのあるノンフィクションとなるには、そういうゴシップ的な暗部の掘り下げが欲しいところではあるが、それにしても、サザンオールスターズのメンバーと、取り巻く人々、楽曲の魅力や素晴らしさが伝わってくる、爽やかで素敵な一冊だった。
また、その時々に行われたライブや、メディア出演の意味や背景なども描かれ、サザンがいかに音楽に真摯に向き合うと同時に、メディアや大衆と深く関わってきたかということがよく分かる内容だった。
そして当然、桑田佳祐が影響を受けたであろう楽曲との比較、それをどう反映させるだけではなく、オリジナルに昇華させていったのか。
そういったことが筆者の音楽ライターとしての筆力に乗せて描写されており、また久しぶりに、サザンオールスターズやソロの楽曲を聴きたくなった。
芝公園六角堂跡 西村賢太
今回から、小論文対策をする必要が出てきたため、文章の書き方を変えます。偉そうに感じたらそのせいですのでご了承ください…笑
最近西村賢太にずっとのめり込んでいて、未読作品を刊行順に読んでいき、『疒の歌』まで読んできた。
あと『無銭横町』『痴者の食卓』、『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の3作を読めば、自作を愚策といって憚らない著者が、唯一の自信作だと話していた『芝公園六角堂跡』を読めるということで、期待が高まってきていた。
しかし今週読んだ『無銭横町』が、明らかに過去作と比べて質が落ちている気がして、実際収録されている作品もページ数の短い小品ばかりだったので、先に自信作であるというところの『芝公園六角堂跡』を読もうと考えた。
実際、刊行順でいうところ、まだ読んでいない二作は、前者の『痴者の食卓』が秋恵もの、後者の『蠕動で〜』が貫多青春ものなので、いわゆる作者と主人公の年齢が近い、現在ものとも言うべき『芝公園〜』は、特に影響がないだろうとの予想も立ち、読み始めた。
その日は、武蔵小金井まで行かなければならない用事があり、土曜日の夜6時過ぎに最寄り駅から地下鉄に乗り、その車内で読むことにした。
なぜ武蔵小金井駅にいかなければならなかったのかといえば、前日の醜態がその因だった。
前日金曜日に会社の後輩の結婚祝いが催され、一次会で飲み会をし、二次会でカラオケに行ってしこたま酔っ払い、23時過ぎに電車に乗って帰ったは良いが、寝過ごして折り返し、終点の武蔵小金井駅で降りるはめになった挙げ句、スマートフォンを落としてしまった。
武蔵小金井駅でスマートフォンを落としてしまったことを駅員に告げると、今はどうしようもできないと言われ、カラオケ館のソファーで夜を明かした。
翌日に目を覚まして、武蔵小金井駅に行くと始発の時間で駅員がおらず、連絡なしの朝帰りになるのでとにかく家路を急いだ。
これはとんでもなく怒られるに違いないと家に帰り、妻と子どもにひたすら謝り、前日の最後に飲んだ安い白ワインの酸味とえぐみが残る口でため息を付いた。
そして結局、前日に降りた武蔵小金井駅にスマートフォンがあることが分かり、昼間ではなく子どものお風呂を入れたあと、夜に取りに行けば、夕飯に好きなものを食べて来られるよという妻の大甘とも言える提案に、また自分に大甘な私は乗らせてもらい、土曜日の夜、空いている地下鉄に乗った。
『芝公園六角堂跡』は、西村賢太が中学生の頃から好きなアーティストである稲垣潤一さんのコンサートに招待されるところから始まる。
西村賢太は他作中で、秋恵から影響を受けて稲垣潤一を好きになったかのように、主人公貫多を描写しているが、実は中学生の頃から西村賢太の方が好きだったようで、意外性を感じた。
その憧れのアーティストが開いた、東京タワーの間近で行われる少人数ライブに関係者として招待され、終演後はドラムセットを触って歌の一節を叫ぶ貫多の上気っぷりに、昨日の自分の飲み会での恥ずべきはしゃぎっぷりが想起され、いたたまれない気持ちになった。
良い小説は、自分の過去を思い出させるものであるが、私小説は、自分の嫌な過去を引き摺り出すもので、それ故に素晴らしい小説と言える。
そのライブ後に、貫多は、自分が没後弟子と崇める藤澤清造の没した芝公園六角堂の間近にいることを、今日このライブに来るまで、あえて意識の外においていたことに気づく。
自分が憧れるアーティストのライブを目一杯楽しむための工夫とはいえ、自分は小説の書き手として、ずれていってしまっているのではないか、原点の藤澤清造の没後弟子を名乗るに足る書き手になりたいという初期の思いを、今一度復活させなければならないのではないかと自問自答する。
それはつまり、芥川賞を取ることで、培った華やかな芸能界の人脈を失い、藤澤清造に狂う自分に戻っていく行為かもしれないが、それが今の自分がやるべきことだと創作の道に戻る決意を固める。
この短編を読んだ時、酔って調子に乗って楽しくやって自己嫌悪しているだけの自分と、きちんと戻れる自分の軸がしっかりとある貫多に、憧れの気持ちを抱いたことは、言うまでもない。
西村賢太の新たな転回点となる、素晴らしい短編集だった。
N/A 年森瑛
今週ご紹介する本は年森瑛さんの『N/A』です。
この作品は第127回文學界新人賞を受賞した作品で、芥川賞候補になり落選してしまっています。
ただこんなに面白くて完璧な小説に久々に出会ったというくらいの素晴らしい作品でした。
「藁半紙が光って見えたのは十三年の人生で初めてだった。」から始まる冒頭七行の書き出しから完全に引き込まれ、その後の文中に出てくる比喩や描写もズバズバ決まっており、無駄がなく、登場人物の掘り下げもリアルで、一日で一気に読んでしまいました。そこだけでもぜひ読んでほしいです!
あらすじは、まどかという女子高生の主人公が痩せ過ぎると生理が来なくなるという保健室だよりの注意喚起を見て、あえて痩せることで生理を来なくしようとするところから始まります。
それに対して家族は精神的に病むところがあるのではないかと様々な思いを巡らせてクリニックや精神科に連れられていったり、心配して泣き崩れたりしますが、それについてまどかは何でそんな理由じゃないのにレッテルを貼るのだろうと不思議に思います。
また、まどかは本人もよく分からないまま、同性である教育実習生と付き合うことになるのですが、そこでも周りの友人や、彼女である教育実習生が、まだかに対してLGBTのレッテルを貼り、前者は腫れ物に触るように、後者は当事者ゆえの活動者意識で接してくることになります。
それらのレッテルに対してまどかは、本当に理由を無視して周りからラベリングされることに違和感と嫌悪感を抱くという作品になっており、昨今の安易な風潮への批判が読み取れます。
本当に面白い作品だったのでぜひ読んでみてください!
↓以下は雑談。
私は落語が好きなので、久々に鈴本演芸場に平日の昼公演を観に行き、お客さんは半分くらいの入りで、ほとんどが高齢者でした。
しかし玄人というわけではなく安易な下ネタで爆笑し、本当に上手い落語家さんの演目で寝るというお客さんが多く、立川談志が言うように、落語という芸能も能や狂言のような未来を辿るのかなぁと暗澹たる気持ちになりました。
その中でも春風亭一朝、春風亭一之輔、柳家さん生さんはとても素晴らしく、演目は片棒・つぼ算・試し酒と、本当に良い高座でした。
特に一朝師匠は素敵で、観られて良かったなと少しうるっとくるような素敵な高座でした。
黄色い家 川上未映子
今週は川上未映子さんの『黄色い家』をご紹介します!
『乳と卵』で芥川賞を受賞
『夏物語』で毎日出版文化賞
本作『黄色い家』で読売文学賞。
という輝かしい経歴を持つ作家さんです。特に小説家として大家であることの証明である谷崎賞を2013年に、37歳の若さで受賞しており、まさに圧巻の受賞歴と言えるのではないでしょうか。
私は川上未映子さんの『ヘヴン』を自分史上10指に入る名作だと考えていて、ご自身が持つ哲学的思考力と類い稀なる美しい文章表現力が結実した素晴らしい作品だと思います。
しかし私はそれ以降、新刊を読むたびに、『ヘヴン』を越えていないように感じ、段々と読むことから遠ざかっていました。
また、川上未映子さん自身大変な美人で、今でも48歳とは思えない若さと美貌を有していて、著作が出るたびに写真入りのプロモーションが展開されるにも関わらず、ご本人がルッキズムについて苦言を呈されている不思議さも、遠ざかる要因ではありました。
今回『黄色い家』を読んだのは、会社の上司が一気読みしたということだったので、久々に読んでみようと思った次第です。
結論から言うととても面白い小説だったのですが、不遇な主人公が仲間たちと出会って幸せを掴むが、その環境を守るために金を稼ぐことに躍起になり、その共同体が崩壊していくというありがちなものだったことが少し残念でした。
主人公は花という母子家庭の女の子で、スナックに勤める母親の友人の黄美子さんと、母親が彼氏と旅行に出かけた一ヶ月間共に過ごし、仲良くなるところから始まります。
しかし突然黄美子さんは、花の前から居なくなり、花はバイトをしてお金を貯め、母親のもとを離れようとしますが、そのお金を母親の彼氏に奪われ、黄美子さんと再会し二人でスナックを始め、仕事は順調で徐々に仲間が増えていく。
というお話です。未成年で高校を中退してしまった花が語り手になるので、文章は読みやすく平易ですが、それによって地の文に、作者が持つ文章表現力が活かされていない印象を受けました。
しかし花にとって居心地の良い初めての共同体が、崩壊していく展開は凄絶で、台詞回しには作者特有の凄味があり、やはり凄い作家さんだなと感じました。
「氷の白い表面が溶けてゆっくりと光りだすように、色んな場面が甦ってきた。」など、文章の美しさも随所に感じられます。
今度は息子さんがいらっしゃるのにも関わらず、反出生主義についてをテーマにしたという、『夏物語』を読んでみようと思います。
寒灯 西村賢太
今週は西村賢太さんの『寒灯』をご紹介します!この作品集は芥川賞受賞後、第一作として出たもので、収録された4点がすべて1年間同棲していて最後は他の男のところへ行かれてしまい、別れた秋恵さんとの物語が描かれています。
これは素晴らしい作品集で、『苦役列車』で穫れなくてもこの作品で受賞していたのではと思えるような作品でした。
全て主人公は作者である西村賢太がモデルの貫多という人物で、同棲相手の秋恵さんとの生活を描いたものになります。
秋恵さんは本人特定が難しくなるように、出身地等の人物設定は著しく変えていると西村賢太は言っていますが、その発言自体がフェイクの可能性もあるので何とも言えません…笑
そして秋恵さんの名前は、同じく私小説作家の、『黒髪』『別れたる妻に送る手紙』『疑惑』等で有名な、近松秋江の秋江を読み替えて、そこから取ったものではないかという説を聞いたことがあります。
近松秋江の『黒髪』は京都の遊女に袖にされ騙される話で、『別れたる妻に送る手紙』『疑惑』は別れた妻を執拗に追いかける未練たらたらな話で、まさにこれぞ私小説という作品になっているので、その説は有力だと私は考えます。
この作品集に収録された4篇は、すべていわゆる秋恵もので、タイトルは以下のとおりです。
・陰雲晴れぬ(『新潮』2010年8月)
・肩先に花の香りを残す人(『東と西 2』(2010年7月 小学館))
・寒灯(『新潮』2011年5月 )
・腐泥の果実(『新潮』2011年2月)
『陰雲晴れぬ』は、同棲を始めた二人がやっとのことで見つけた賃貸マンションで、管理人さんからマンション内の落書きや間違ったゴミの捨て方について、やってもないことを疑われて貫多が管理人さんにぶち切れるという話です。
この管理人さんも、おそらく収入が定まらず、やっとのことでこの部屋を借りた二人への偏見もあり、貫多がキレるのも無理はないのかなと思うのですが、それを管理人さんに嫌われたくない秋恵さんに対しても平気で怒鳴り散らすので、さすが貫多だなぁという一作になっています。
この同棲初期に、段々とDV男の側面としての馬脚を現す訳ですが、この自分勝手な理由で怒る仮定がとても見事で、何でこんなことで怒るのだろうと思う反面共感してしまう部分があり、いつもながらとても危険だなぁと思います。
『肩先に花の香りを残す人』は、整髪料の匂いを嫌う貫多が、タクシーの座席に付いていた整髪料の匂いを上着につけてしまい、秋恵さんに八つ当たりする話です。
いつもながらこの二人の喧嘩は、凄絶なのに笑えるという本当に作者の凄さを感じる面白さで、この作品でも秋恵さんが貫多に、「整髪料なんておはなの香りだよ」という何とも良いタイミングで絶妙に気の抜けたところを言う台詞が、妙に面白く、電車の中で笑いそうになり本を閉じてしまったほどでした。
そしてこの短編は落ちが綺麗に決まっていて、非常に良く出来ているなと感じました。
『寒灯』は、同棲して初めて正月を過ごす二人を描いたものですが、中卒で親元を離れ、何十年も恋人ができず一人でいた貫多が、久々に人と過ごせることになったお正月に、天井知らずの期待をして、勝手にその期待を下回ったと感じ、わざわざ帰省するのをやめて過ごしてくれた秋恵さんにキレ散らかし、お正月を台無しにするというものです。
あらすじにするとどう仕様もない話なのですが、私自身が自分が勝手にハードルを上げて不機嫌になったり怒ったりすることがあるので、ここまでキレるとは行かないまでも共感してしまうところもあります。
例えば自分ならこの場面ではこうするから相手もそうしてくれるだろうと思ったり、普通はこうするからこうなるだろうとかそういう勝手な期待を相手にして、そうならないと不機嫌になってしまうとか、非常に身につまされる話です。
秋恵さんがお正月だし頑張って、年越しそばのおつゆを自作して大失敗し、これなら麺つゆを買ったほうが良かったじゃねえかと貫多が怒鳴るところなど、何だかあるあるな気がしました。
そして最後の『腐泥の果実』は、秋恵さんと別れたあと、同棲から8年後の貫多が、秋恵さんからもらった誕生日プレゼントを見つけ回想する話で、とても哀切な作品となっています。
これも『寒灯』と同じで、同棲後初めての貫多の誕生日に、お祝いのされ方が期待を下回って喧嘩になった時の話ですが、もう別れそうになっているからか、秋恵さんも他作品のように、言い返して言い合いになるという場面がなく、終始呆れているような対応で、二人の終わりを感じさせます。
秋恵さんへの酷い仕打ちを内省し、こんなもの使わないと言い捨てた誕生日プレゼントのペン皿を使ってみようかと思い、しかしこの頃にはもう、家を出るきっかけとなった浮気相手がいたはずだと思い直し、捨ててしまうという、甘な感情に浸らせてはくれない、立派な私小説だと思いました。
自分の内面に潜む悪を暴かれる、本当に素晴らしい作品集だったので、皆さんも是非読んでみてください!







